退屈しない看護師人生

私が看護師になりたいと思ったのは中学の頃でした。恥ずかしながら、当時はやっていた小説を読んで、なりたいと思った次第です。どうやったら看護師になれるかを自分なりに調べ、いろいろな方法があることがわかりました。

とにかく勉強が嫌いだったので、最短で看護師になれる方法と思い、高校に衛生看護科がある所を選びました。ここだと、高校で准看護師の資格を取る事ができ、そのあと2年専門学校に通えば、看護師の資格が取れるのです。中学卒業後5年で資格が取れる、最短コースでした。

いじめられっこだった事もあり、看護師になって周りを見返してやりたいという気持ちもありました。ちゃんとした職業について、ちゃんとした収入を得たかったのです。それも、なるべく早くそうなりたいと思い、その道を進みました。

勉強は思ったよりも大変で、実習はもっと大変でしたが、しっかり5年で資格を取り、働き始めました。

初めての勤務は私立の総合病院

最初に働いたのは、私立の総合病院で、脳外科でした。

最初は外科に勤めた方がいいと聞き、外科を希望した所脳外科に配属になりました。実は脳外科はすごく苦手で、脳神経すら覚えきれなかった私は結構焦ったのですが、優しく面白い先輩たちに教えてもらい、2年でなんとか術後の患者を看れる位までに成長しました。

ただ、実家から新幹線で2時間の距離の病院に就職していたため、ずっとホームシックで、いつかは地元に戻りたいという気持ちは大きく、この病院に根を張ろうという気持ちは全くありませんでした。しかし、脳外科は楽しかったです。患者さんに合わせて看護目標を考え、みんなでその目標をクリアすべくケアしていくんです。

もちろん、その目標がクリアできないとなればレベルを落として、できるようになる事を盛大に褒めながら入院生活を過ごしてもらいました。今思えば、この時のやり取りが、その後の自分の看護観に影響を与えていた気がします。

結局この病院は、人間関係のいざこざがあり、2年で辞める事になりました。病棟全体がぎくしゃくするほどの仲違いに巻き込まれてしまい、若い私には耐えられなかったんです。

初めての転職 実家近くの循環器科

次の病院は、実家のある隣の県にしました。循環器科に勤めました。

私は心電図もすごく苦手で、でも克服したいと思い志望しました。心電図は本当に難しくて、全然見分けがつきませんでしたが、徐々に分かるようになると楽しかったです。ほんの少しの変化で患者さんが命を落としたりするので恐ろしい病棟ではありましたが、すごく成長できたと思います。

ストレスのある職場 でもやりがいと成長を感じた

先輩たちも怖くて、何度も辞めようと思いましたが、なんだかんだで8年勤めました。そして、自分が怖い先輩の立場になり、後輩に指導するようになっていました。自分で言うのもなんですが、なかなか怖い先輩だったと思います。怖い先輩にはなりたくないと思っていたのですが、なってしまうものなんですね。

ものすごいストレスのある職場ですが、同時にやりがいもあり、なんだかんだで疲れつつも充実した毎日を送っています。仲のいい同僚にも恵まれ、患者さんのリハビリに付き合っては、昨日よりできるようになったね!と一緒に喜んだりしてすごしています。回復を一緒に喜ぶのは、最初の病院で脳外科に勤めた事が大きく影響しているんじゃないかなと思っています。