精神科での貴重すぎる看護師体験

看護短大に入学し、3年生の1年間の実習で最も心に響いたのが精神科実習でした。

「患者さんと共にいることが何よりも大事」

という指導者さんの教えが、私の希望する科を決めた一言でした。

実習と並行した就職活動では精神科1本に絞り込んで病院を訪問し、東京郊外の精神科単科病院への就職を決めました。看護の本質を求めて、私は希望に満ちて社会人1年目をスタートさせました。

私が就職した精神科単科病院はその地域に古くからある病院で、病床数460ほどを要しています。急性期病棟、慢性期病棟、認知症病棟、外来、等の8病棟で構成され私が配属されたのは「急性期・男子閉鎖病棟」。閉鎖病棟なのでスタッフ1人1人が病棟出入りのための鍵を持ち、勤務のたびに肌身離さず厳重に管理されていなければなりません。加えて男子病棟なため危険と隣り合わせ。スタッフの半分は男性看護師でした。

実習で経験していたとはいえ、たったの2週間ほどで見えるのは精神科の入り口の部分だけ。実際に勤務を始めて本当にいろいろな経験をしたけれど、一番強く印象に残っている出来事があります。病院のある土地柄もあると思いますが、私の勤務していた病棟には薬物中毒の患者さんも多く入院して来られました。病院に到着する頃には薬物で錯乱しているので、措置入院、いわゆる強制入院の状態で拘束された状態です。

しかし入院後薬物が抜けてくるといたって穏やかなお兄さん、という感じの方が多く私の記憶に残るその患者さんも、ほかの患者さんの面倒をよく見てくれる気のいいお兄さんという存在でした。入院後数週間、勤務中の会話のやり取りと病棟内での過ごし方を見ていても状態がかなり安定してきたので、先生からスタッフ付き添いでの病院内外出可の制限解除指示が出されました。

その日は15名ほどの患者さんをスタッフ3人で外出させることになっており、そのリーダーを私が担当しました。出発時の人数確認を終え病棟を出発。ほんの数分先にある運動場までのお散歩です。入院後初めて外出する、薬物の患者さんには特に気を付けていて、運動場についてまず彼の所在を確認しました。しかし、すでにその患者さんの姿は消えていたのです。

すぐに私は先輩看護師に報告、ほかの患者さんをすぐに病棟に戻しました。先生への報告と共に、リーダーとして重大な責任を感じました。その日の夜中に患者さん本人から病棟に電話があり、どうしても薬物に手を出したくなり、脱走したと。

更に詳しく話を聞くと、実は前々からこの脱走計画を彼は目論んでいてあと2人ほどの患者さんに協力をお願いしていたそうです。金銭は病室に持ち込めない患者さんだったのに、外に出て電車に乗るためのお金は同室の患者さんに借りたとのことでした。そして結局、自分はとても悪いことをしたという思いで警察に出頭したと、その患者さんは話していました。私にも謝っておいてほしいと言っていたという言葉を聞いたとき、涙が止まらなくなりました。

先生は、患者さんの落ち着いている状態を見て外出させて大丈夫という許可を出した。そしてスタッフは、外出して気分転換させてあげたかった。その判断が間違っていたのかという自責の念と、大丈夫と判断させた患者さんの行動そのものが演技であり私たちを騙すためのものだったのじゃないかと恨む気持ちが私中で入り乱れてどうしようもなかったのでその一言で私は救われました。それと同時に、精神科の患者さんの、私には想像もつかない深い人生を見て共にいなければならない寄り添うことが大事である、何とも難しい仕事なのだと感じました。

新卒でまだ20代前半の私には重すぎる経験だったと今でも思います。