看護師への憧れよりも一生続けられる魅力を感じた

私は特に使命感があるわけでもなく、自分の生活のために看護師という道を選びました。

「一生働ける資格」と言う言葉が心に響いた

家族と折り合いが悪く、早く家を出て自分の力で生活したかったので、当時の担任の教師の「一生働ける資格」という言葉に魅力を感じ、看護学校を受験しました。そんな気持ちでの進学だったので、学生時代はとにかく辛くて、何度も辞めようと思いました。しかし、夢を持って看護師を目指している友人ですら辛くて辞めたいとこぼしているのを聞いて、みんなそんなものか、と少し気持ちが楽になったことを覚えています。

就職活動が始まってからも、なんとなくしか仕事のことを考えられず、病院で看護師としてバリバリ働く自分の姿が想像できませんでした。既に看護師として働いている先輩達の話を聞いても、そんな環境に自分がついていけるとは到底思えず、晴れて資格試験に合格したものの、結局、医療とは全く関係のない、そして以前から好きだったアクセサリーの販売職に就きました。

20代も半ばを迎える頃、看護学校の同級生達は中堅として活躍している人達ももちろんいましたが、看護師というある種特殊な環境に疲れ果て、心や体を病んで離職したり、結婚してフェードアウトした人達もでてきました。そんな友人達の話を聞くと、ますます自分には無理だという気持ちが強くなり、このままペーパー免許でもいいやと思っていました。

そんな中、アメリカで同時多発テロが起きました。アクセサリーという、生きていくうえで必ずしも必要のない物を売っていた私は、もし今後世界がどんどん破壊されていったら、日本が戦争に巻き込まれたりしたら、今の仕事はなくなってしまうと思いました。そこで、自分が看護師を志した動機を改めて思い出したのです。一生働くためにこの資格を取得したんじゃないのかと。

そこからはすぐに行動に移しました。ハローワークに出向き、ブランクがあり自信のない自分を受け入れてくれる医療機関を探しました。そして、先代の医師が亡くなった後を引き継いで、別の医師が改めて開業することになった整形外科の医院に勤めることになりました。そこでは、先代の医師の時代から勤めている先輩の看護師が一人いて、右も左も分からない自分に丁寧に業務を教えてくれました。

しかし、その医院は3年で退職しました。自分の思った通りに事が進まないと気がすまない先輩は、次第に私に八つ当たりするようになっていきました。患者さんにも、私に関するあることないことをこぼすようになり、見かねた先生が注意してくださったのですが、自分より勤続年数が長く、年上のその看護師には逆らえず、耐え切れなくなった私は退職することになったのです。

その後、数ヶ月間休みをとってゆっくりした私は、また看護師として働こうと思い、転職活動を始めました。今度は人間関係での苦労が少しでも軽いところにいきたいと考えて、看護師専門の転職サイトに登録しました。そこでは、口コミが確認でき、担当者にも細かいところまで色々と確認ができたので、心構えもでき、少しだけ自信を持って面接に臨むことができました。そして、今の勤務先であるクリニックに転職しました。外科系の有床のクリニックで、現在は病棟勤務をしています。

病棟なんて無理だと思っていた自分が、ここまで来れたことに少しびっくりしています。相変わらず使命感に燃える看護師の人達には距離を感じながらも淡い憧れを抱きながらですが、お金をもらって仕事としてやっていく以上、自分にできる限りのことはきっちりやっていきたいと思っています。